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by 6_coloured_apple

今更ながら『銀河英雄伝説』

リアルタイムでもなく、創元文庫版完結でもなく、ひどく中途半端なタイミングですが、小説、アニメとかなりの人気を誇った『銀河英雄伝説』について、ふと思ったことがあったので、書いてみます。

実は、私はこの創元版で初めて読みました。
徳間ノベルズからの、あるいはアニメのファンには怒られそうですが、本を読むにも少々尖っていた時期がありまして(笑)、“くだらない冒険小説なんか読んでられっかよ”とまあ、今となっては厚顔の至りではあるのですが、まあ若いときのことゆえ、許してください。
おそらく、タイミングも悪かったのだと思います。第1巻の刊行された82年といえば、ちょうど大学の高学年、日本文学科で卒論と取り組んでいた時期ですので、SFの方が純文学より好きなんてゼミの友達にはとても話せない雰囲気(笑)。
せいぜい文学的なディレイニーの名前を、ジョイスとかプルーストと併記して出すくらいな冒険(笑)しかできませんでした。

なんで読み出したのかといいますと、友人がアニメ版を見て進めてくれたこと(WOWWOWで全話見たのだそうです)と、創元文庫から刊行が始まったこと。

まず、その友人の薦め方に引っかかりました。曰く「単なるSFじゃなくってさ、主人公の成長が丁寧に書き込まれているんだよね」とのこと。決して忠実なSF者ではありませんが、“単なるSFじゃなくってさ”は聞き捨てなりません。元々SF者というのはひがみっぽい生き物で(笑)、SFの中でも単純なアイデア小説を全SFを括るかのように語られると、“そりゃ違うだろう”と反発したくなります。
実際、正伝10巻を読み、今また5巻まで読み直していますが、登場人物は決して成長していませんね。一方の主人公格のヤンは、いつまで経っても“軍人としては怠惰で退役生活を望み、しかし戦術・戦略の天才”ですし、ラインハルトも自己の望む形態での国家の建設に邁進しています。そりゃあ、無二の友人に死なれたり、結婚したりと時は経ていきますし、それなりに年齢を重ねていきますが、ヤンもラインハルトも、基本的な造形は初めから固まっています。

SF的に見ても、ツッコミどころはたくさんあります。
たとえば、二つの“回廊”です。どうしても作者は2次元的な発想から逃れられないようで、3次元宇宙で通行不可能というのは、ブラックホールの内側でもない限り、あり得ないと思うんですよね。上下左右無限大に障害が広がっているわけではないはずですから、迂回する方法はいくらでもあるはずです。
とどのつまり、この『銀河英雄伝説』は、(ファンの方は怒るかもしれませんが)SFの基本設定の上では「宇宙戦艦ヤマト」と同じレベルの、つまり第2次世界大戦のシミュレーションに留まっていると見てよいと思います。

小説的に見ても、せっかく張った伏線を回収しきれずに破綻しているところもけっこう目立ちます。
たとえば、フェザーンの独立貿易商ボリス・コーネフが特命を帯びてハイネセンに赴任してもいっこうに活動せず、彼が活躍するのはフェザーン陥落後ですし、廃帝されたエルウィン・ヨーゼフ2世にしても、あれ?これでおわり?って収束の仕方でしかないのは否めません。

しかし、この小説が、小説として優れたものを持っているとすれば、それは一方の主人公ヤン・ウェンリーの造形にあると考えます。
まあ、これまで30年近くにわたって書きつくされてきたのでしょうけれども、一応、ググってみたのですが、この思いつきを書いている人がいなかったので。もしかしたら、あまりに当たり前すぎるので、もはや誰も書かないのかもしれませんが(笑)。

この小説が歴史小説の形態をとっているということは、創元文庫版の解説にも何度も語られています。実際に目の前で起こっているように描かれる出来事の合間に、「後年の歴史家は……」と、この出来事がすでに過去のことであると宣告して、読者の臨場感を相対化させる手法です。
しかし、もう一歩踏み込んでみると、この小説が真に優れているのは“歴史小説に歴史家(すなわちヤン)を登場させた”ということであると思います。軍人である自己を突っ走らせるのではなく、常に過去の歴史と照らし合わせて、自分の行っている行為の意味は何かを自省しなければならない、しかし過去の戦略に精通しているがゆえに常勝とまではいかなくても不敗であり、しかも自身がその歴史の延長上に存在していることを強烈に意識している人物を描くという、メタレベルの歴史小説になっているというこの一点に、他の大河SFにない魅力があるかなと、今更ながら私は思います。
by 6_coloured_apple | 2009-05-09 03:23 | 文学